
アナザー・レイヤー
原案:田中ロミオ
著:波摘
カラーイラスト:saitom
視界で捉えたその人影は、空を自在に駆けていた。
いや、実際には周囲のあらゆる物を足場や手すりにして、いくつもの民家の屋根をアクロバティックに飛び移っているだけだ。しかし鋭く身を捻り、軽々とした跳躍で二階建ての民家間を走り抜けていく様はあまりに人間離れしている。ジャングル奥地にいるサルを思わせる動きだ。
人影は街の全てを知り尽くしているかのように、何の逡巡もなくルートを選択していく。俺はそれを見失わないようにしながら、地上の路地を駆け抜けて必死に追いつこうとしていた。
乱れた自分の呼吸音が耳に届く。汗はさっきから止まる気配がない。限界が近いことは察しがつく。
人影を追って、どんどんと路地の奥へと入っていく。
初めに感じたのは埃の臭い。周囲に建つ老朽化した古民家群には、ほとんど誰も住んでいないのだろう。区画に漂う寂れた気配と共に、道に沿って作られたブロック塀や電柱などに描かれた落書きが目につくようになった。
特に汚い区画。それが第一印象だった。
無造作にゴミ袋の山が作られていたり、逆さのビールケースがピラミッドのように積み上げられていたり、路上に放置された車のボンネットにマジックで大きく丸印が書いてあったり。
どこかの悪ガキがやっているのだろうが、それにしても治安が悪い。だから、比較的マシな駅周辺からこんな街の外れまでやってくることは今までなかった。駅周辺だって、ふと狭い路地裏や人目の少ない場所に目を向ければ似たような状態になっている。誰が好き好んで、もっと治安の悪い場所に足を踏み入れるだろうか。
だが、今は悠々と風を切って曲芸を披露する人影を追わなければならない。嫌だとか言っている場合ではないのだ。
それにしても、と俺は疑問を抱く。
視界の中の人影の動きはあまりにも不自然だった。突出した身体能力を持っていたとしても、それだけで街の詳細な情報を全て頭に入れているようなあの動きは実現できないはずだ。
たとえば、人影は民家の壁を伝うパイプに飛びついて屋根の上に登った。しかし、そのパイプの強度は見た目にはわからない。体重を支えきれずに転落する可能性もある。いくら思い切りが良くても、一瞬躊躇するのが普通だ。
だが、人影は全く躊躇わなかった。まるで、そのパイプが安全であることを知っているかのように平然と飛びついみせたのだ。
何かある。自分の直感がそう告げていた。
考えろ。頭をフルで回せ。
人影が使っているルート。周囲の状況。きっと、どこかにヒントがある。
また前方にビールケースのピラミッドが現れた。
邪魔だ、と顔をしかめながらそれを避けて。
その瞬間、脳裏を強い電撃が走った。
目を見開いて、バッとそれを振り返る。そういうことか、と足を止めてしばし呆然となる。
寂れて汚い街景色、その中で自分の呼吸音だけがやけにうるさく聞こえた。
一見、ただの治安の悪い街。だが俺の予想が正しければ、この街は。
「はっ、こりゃ想像以上にヤバい場所に来たみたいだな……!」
平静を装って、眼鏡を人差し指でクイっと持ち上げてみせる。だが、その手は震えていた。
恐怖を吹き飛ばすように一度、思い切り頭を振ると、俺はその「街の仕組み」と正面から向かい合う。何はともあれ、これであの人影を追うことができるはずだ。
あいつを捕まえられるのならなんだって利用してやる。
これで条件は対等。勝負の時だった。
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Posted at 2015.12.29 | Category:saitom, アウトロー・ワンダーランド, 田中ロミオ